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グランマ金曜版、土曜日のキューバ

Junio 12th, 2010

がさつな新聞グランマが、最も話題になり、最も読まれる部分となる欄を始めると、数年前に誰が予想しただろうか。「カルタス・ア・ラ・ディレクシオン(執行部への手紙)」という題名のもとに、読者から寄せられた、経済の観点やわたしたちの社会の体系的な側面を主題とする文書が、毎週金曜日に世に出される。最初のうちは、キューバ共産党(PCC)のこの公式機関誌が、後に残りの新聞にまで広がる試験管のグラスノスチに探りを入れようとしていたという噂が流れた。しかし、特にあからさまに保守主義で反動的なメディア内での出来事のため、結果は限定的な論議となった。

批評の語調は増大し、今までカラーで写真が印刷されたことがなかったまさにその新聞に、古い問題にフォーカスを当てるために様々なニュアンスが現れている。「公的扶助の終わり」の「民営化」に関してさえも書かれるまでに至り、それらすべてに「わたしたちの行き詰まった精神状態」というような批判の言い回しや、「わたしたちは現実主義者にならなくてはいけない」といったタイプの勧告が伴っている。その時まで、数10年もの間論争を押さえ込むのに多大な貢献をしていた新聞紙上で、その論争を定着させるのに成功したかのように見えた。しかし、熱狂が流れるままにしない方がよい。すでに「カルタス…」の前文において、「同意できる、もしくは同意できない意見」について論じていると明らかにしている。わたしたち自身の意見により差別を受けているわたしたちは、寛容の誇示はすべて現実の生活において何も実現しないことを知っている。

意味不明の言葉が無視され、達成した偉業から出現した言葉を区別して考える時、この討論の欄の本当の重要性や真剣さが認識される。テーマに関して明らかな限界があることは一目瞭然である。というのもこの機会全体において、移動制限、表現の自由の欠如、異なった考えの人に対する罰則、政治犯、議長職を直接選挙に委ねる要求、もしくは行政機関にあまり屈服していない新聞を嘱望する必要性といった熱気に満ちた問題点に触れていないからだ。奇妙なことに刊行された紙面には、資源の横流し、社会的不服従、生産方法、官僚数人の能率の悪さ、より大きな統制の適応を求める多くの人の願いに言及するのみである。これは予想しうることだ。なぜなら、意見の選別が行われるから、もしくは決して日の目を見ないであろうことを知っている読者自身が、ある種の不安を発送することを自制しているからだ。

別の側面からグランマ金曜版は、批評は容認されたと、そして「包み隠さず」話せるようになったという間違った印象を生み出した。しかし、意見を言うことができる選ばれたグループに受け入れてもらうために果たす強制的な畏敬が存在するということを確認するには、その行を詳細に読むだけで十分である。「わたしたちの現在の体制を維持すること」に関係のあるフレーズをついうっかり言ってしまうか、「プロセスの歴史的指導者」へ免除の儀礼を尽くし、わたしたちの管轄外にある国の災害の過失を割り振る演説を差し挟んだりするに違いない。それらの時代遅れのページ内で、ラウル・カストロの運営について、そしてわたしたちが住む国や親戚一門のこの資本主義の機能不全についてわたしの同胞たちが持っている疑念を決して読むことはできないであろうし、夢の中でも実現しないだろう。

不一致や苦悩があふれている土曜日、火曜日、日曜日のキューバは、「カルタス・ア・ラ・ディレクシオン」にはほとんど姿を見せることはない。許可された唯一の政党によるこの機関誌は、それを国の前衛だとまったくみなさない人たちには決して広まることはないだろう。それを作ることはまるでサトゥルヌスのようである。自分の子供たちをむさぼり食った後、自分の心に逆らってグランマに取りかかるかのようだ。

モデルタウン

Junio 11th, 2010

廃虚と化した製糖工場の本社、荒涼とした主要道路、そして住居の中には、思い出の中で動かなくなった過去の生活。「モデルタウンからゴーストタウンへ」、ハーシーの集落に住む住人たちがつぶやく。というのも、かつての豪華さは、郷愁の隠れ家に変わってしまったからだ。数人の若い映画監督の才能のおかげでこの小さな町は、瞳を濡らし、喉を詰まらせる短めのドキュメンタリーに詳細に描写され今日、姿を見せている。反論する余地なく、未来が良い時代とはならなかった数百もの人たちの、失ったものへの郷愁を誘う散歩道である。 

この奇妙な町は、最新の都市計画の設計図、砂糖の成長産業、チョコレート工場、そしてきしみ音と火花の中いまだに運行されている電車を含んでいた。それらはすべて小さい規模ではあったが機能的で、それはまるで芝生の上に、切り妻型の屋根をした人形の家が10軒ほど整然と並べられているかのようであった。1857年ペンシルバニア州の小さな村落で生まれたミルトン・ハーシーの影響力のおかげで、わたしたちの首都の東側にあるサンタ・クルスの丘で、この物好きな定住地の建設が始まった。

過去の繁栄と今日の無気力、これらは何人ものブロガーたちが入ることを妨げられたフェアにおいて、ライミール・ファノ監督の短編映画が動かすものと、チャップリン映画に投影されるものの間の和音である。幸いにも、彼らの感動的な15分の短編作品は、ある文化機関の「会員」の規定を満たす必要のない情報配給の代替ネットですでに流通している。映像の見事な選択および音響と映画音楽を兼ね備えた大胆な作品は、憂愁に浸るその町にわたしたちを連れて行く。チョコレートは、主役たちの感情にとって爆薬として作用し、スクリーンのこちら側にいるわたしたち観客は、その香りを感じ、チョコレートボンボンと同じ包み紙に包装された思い出の手触りを感じることができる。

標語の記念日

Junio 9th, 2010

いいえ、あなたは間違えていない。このブログのタイトルはまさしく、年代物のスローガンや、新たなろうそくに火をつける標語に言及したものだ。この島では、記念を祝うマニアは、誰かが初めて何かを言った時でさえも祝う極端なところへ行き着いてしまった。新聞等の同日記録や記念日にわたしたちが息苦しくなっていたにもかかわらず、あるフレーズの誕生に関連付いたものが今日、祝賀行事のリストに加わった。まるで日々、考慮されるたくさんの表現が生まれていないかのように、特定の動詞がある名詞と結合したその瞬間に居合わせた人たちにインタビューをする。例えば今日、ほとんど考慮に入れられることなく国のすべての主婦たちへのスローガンとなる「決して終わらない、この家では決して終わらない」というフレーズを、わたしの隣人である女性がインスピレーションを受けて言った。

忘れようにさせるための表現の一覧表には、ポジティブなものしかない。なぜならニュース番組の中で敗北、嘘、とんでもない間違いをよみがえらせることが頭に浮かんでしまう人向けだからだ。それらの表現は年を重ねることはなく、別の表現を覚えた瞬間に歴史から消えてしまう。そのため公式の新聞はここ数日、すでにそれ自体かなり身の毛もよだつような標語の中で「勝つぞ!」という語末の出現を賛美するのに紙面を割くのみである。「祖国か死か」という図式に、国の二者択一が封じ込まれて50年以上たつ。死を選択しなくてはいけないというデマを信じる傾向にわたしたちが慣れてしまったこの50年間に、フレーズ内のもう一方の単語が「祖国」から「政党」という言葉遣いに、もしくはある指導者の名前にも置き換えることができる「社会主義」に変異してしまった。

そのように、有言不実行の名目上の側面を推移しつつ、それらの標語はここに来る。現実が日々拒絶しているにもかかわらず、言葉への崇拝を行う。もしその古さが何も果たさず、より尊敬すべきものでなく、より確実なものでなくても、標語によって風船をふくらますことが、そして白髪を櫛でとくことをわたしたちに覚えさせることが何の役立つのだろうか。お祭りで飾り付けたとしても、「祖国か死か、勝つぞ!」という標語は、平静よりも不安をわたしに誘発し続けている。今日、4つの単語の間に広がった半世紀と共に、すべての民衆がその二者択一を信じるまでに至った遠い時間のエコーとして記憶に残っている。標語が多く広がり、柵に描かれ、演壇から聞かされてから、もしかしてわたしたちは勝ったのか、今日わたしたちが手にしているものは「勝利」と呼んでも良いものなのかを自問し続けている。

物理学はめったに間違えない

Junio 7th, 2010

この暑さに不平を漏らす人々の声を頻繁に聞く。日照りを伴ったそのべたつく存在は、耐え忍ぶのをよりいっそう難しくしている。もしさらなる温度を当てられたなら、ボイラーの中で圧力に続いて何が生じるかをわたしたちはみんな知っている。したがって、今年の夏は問題と緊張が予測される。疲労させる遅さと、雰囲気を悪化させるぬるさと共に推移するそれらの変化を待って、6月は始まった。6月上旬から、一部の理容師は店舗の使用収益権を許可され、国家公務員であることから、その国家公務員に定額でかなり高い税金を払う側になった。一面では、この新たなフリーランスたちは独立して稼ぐが、しかし他面では、彼らが店舗の経費を負担しなくてはならず、税金を払い、自分の配当を確保しなくてはいけないことから、カット料金はほとんど2倍にまで高騰した。

外国メディアでコメントしても、国内メディアで沈黙を守っても、待ちに待った政治犯の釈放に関しては、最も反応が鈍い点だとみんなが感じている。ここ数日ですでに、「厳しすぎる」有罪判決を受けたと認知されていたシルビオ・ロドリゲス本人まで、それら政治犯たちが刑務所から出所していたと思われていた。彼らの内の6人の、彼らの出身地の近くにある別の刑務所への移動は、時間稼ぎ戦術や、大きな期待への公式な欺瞞の疑念がある。変化が起こるように願うだけでは十分ではない。できるだけ早く達成するよう手を打たなくてはいけない。なぜなら、わたしたちの現状の独特な錬金術において、遅れは爆発する要素になるかもしれないからだ。

さらに悪いことに、雨が降らないまま夏が到来し、扇風機は一日中うなり音を立てて、電気代の請求書がわたしたちの給料を持って行ってしまう。永遠の暑苦しさはバスを待つ長い列で感じとられ、食品を追い求める困難な探索の中で蒸し暑さがわたしたちにまとわりつく。扇子はわたしたちの顔に熱い風を送るのみであり、水差しとバケツを使って入浴をしても、肌から再び噴き出した汗のしずくと共に浴室から出ることになる。そんな日々に、わたしの友人たちは我慢ができず、家族の書類の中にスペイン人の祖父の誕生記録が出てくるか探している。多くの人の目に、「もうこれ以上我慢できない」という声にならないフレーズを読み取ることができる。わたしは彼らに言う、落ち着いてと。そして多分この暑さはわたしたちが必要としている触媒であり、約束された開始がさらに一カ月遅れないよう求めるために無気力な住民が必要とする後押しであると。

長い両腕

Junio 2nd, 2010

ブロゴスフィアで起こったことは、わたしたちの現実の別の現象で起こったかのように過ぎていく。あちら側の政府支持者の形容表現と、こちら側の日雇い労働者の形容表現をつり下げつつ、そんなことをしても、わたしたちみんなを結び付ける共通要因を回避できないことに気付くことなしにわたしたちを分類し、切り離そうとする。表現する願望。エライネ・ディアスが職を失うことなく、ブロガーアカデミーに授業をしに来ることができる瞬間を、そして非難集会で罷免されたクラウディア・カデロが、ジャーナリズム学科でツイッターのセミナーの教鞭を執る瞬間を夢見る。国家メディアに加わったジャーナリストたちの隣で、独立系ジャーナリストたちが行うかもしれない討論の円卓を想像し、最初にその存在を認められ、その次にそのような行為により解雇されるという苦しみを与えられないかどうかを想像する。

キューバ経済の大失敗への解決策をどのように見つけるのかについてオスカル・エスピノサ・チェペと討論し、腐敗に対する論説を数週間前に書き上げたアカデミー会員、エステバン・モラレスを想像するだろうか?今のところ、大学生の前で講演し、パネルディスカッションにおいてラファエル・ロハスエミリオ・イチカワのそばに座っていたアルフレド・グエバラ自身について考えている。わたしはもっと遠くに行き、リカルド・アラルコンをもう一度エリエセル・アビラという若者に面と向かって着かせる。それは両者が対話を行ったあの2008年1月以来、国の状況がどれだけ進展したのか、もしくは後退したのかを聞くためだ。わたしはすでに錯乱状態になっているのだが、それらはすべてパブロ・ミラネスの曲とアルビタ・ロドリゲスの暖かい声で歌われるモントゥーノにより活気づけられている。

わたしを夢見がちだと思うかもしれない。しかし、わたしたちが住むこの大地の切れ端は、それほどの分裂には耐えられない。碁盤目、柵、区画、分割、これらはわたしたち全員が所有する空間と時間を巻き込み、際立たせることとなった。別の人たちが何を待ち望んでいるのか、わたしには分からない。しかし、少なくともヨアニ・サンチェスは、どこかで始まるであろうその会談に着手するための、熱いコーヒーと給仕用のテーブルを持っている。

パイレーツ・オブ・カリビアン

Junio 1st, 2010

誰も見ていないのに、居間でテレビが音を立てている。まるでそそっかしい家族を取り扱うように気にとめることもなく、数時間スイッチを入れたままにしておく。新聞のテレビ欄を見ると、30分後に科学捜査ドラマシリーズのCSIが始まり、すぐ後にはジョルダン・メディコ・フォレンセというとてもよく似たドラマが続くと書いてある。少しリラックスするために、カナル21では、フレンズの陽気な主人公たちが出演していて、夜中に放送されていた映画は20世紀フォックスのスタジオで撮影されたものだった。家の若い女の子は、ギルモア・ガールズの何章を見逃したくないのだが、父親はディスカバリー・チャンネルのサメについてのドキュメンタリー番組を見ようと、チャンネル争いを繰り広げる。観察者や泥棒や猫たちだけが起きている明け方には、おそらくドクター・ハウスの最新シーズンが再放送されていることだろう。

ある場所における極端な思想の植え付けと、外国の制作会社から盗用した素材の豊富さという2つの特徴がわたしたちの小さなモニターに表れる。反帝国主義の扇動的な演説と、北米で制作された作品のひっきりなしの放送という、奇妙な組み合わせである。アメリカの観客に2週間前に封切られた映画が、著作権料が1センターボも支払われることもなく、現在放送されている。もちろん、キューバラジオ・テレビ協会(ICRT)の無関心が引き出すその迅速さのおかげで、わたしたち視聴者は恩恵に浴しているが、苦い喜びは、密輸なしではわたしたちのテレビ番組編成は維持できないという知識をわたしたちに植え付けていく。

特に連続ものやメロドラマや参加番組のようなローカルなテレビ制作が陥った不況を緩和するために、クリエーターや配給会社にほとんど補償することなく、外国のものを利用する。略奪が制度化されるとき、国の資源を横流しさせないための市民への呼びかけが効力を失う。というのも、チャンネルを合わせるだけで、大規模な窃盗の証拠を見るのに十分だからだ。さらに悪いことに、不足を隠す行為の中で、本来放送していたテレビの特徴を、如何わしい帯域で覆い隠してしまう。こうすることで、さらに明白な盗みを行う。しばしば土曜日の夜に、映画館のスクリーンを撮った映画が映されることがある。物語の途中で、観客と見られる誰かがトイレに行くために席を立ち、長せりふの一節が読めなくなってしまう。素人によって作られた字幕は、インターネットからのダウンロードのコピー特有のスペル間違いが一杯で、映画論議のかなり真面目な番組でさえも、それを見ることができる。

他人の芸術的創作に対して倫理を欠いて、海賊のように行動し続けることができなくなってしまった国で、近い未来にどんなことが起こるのだろうか? 海賊的行為を使用することなく、どのようにわたしたちのテレビへの欲求を満たすのか、ICRTの役人たちはすでに考えているのだろうか?当然のことながらその解決法とは、国内での制作を躍進させることであり、改善と、放送権獲得のための資格という結果を残したテレビが所得を生むことを容認することである。最終的にはこのことは、長時間のイデオロギーの演説や、わずかな人しか好まないのに訓育の強制的な大さじ1杯のようにわたしたちに投薬する退屈な番組とは、両立しないのではないだろうか。活動的で、魅力的で、そして法の枠組みの中の番組編成は、総国有化されたわたしたちの環境では生まれてくることはない。なぜそのことに気が付かないのだろうか?

黒豆入りご飯がないので

Mayo 31st, 2010

数年前わたしは、ちょうど初めての海外旅行に出かけようとしていた若い女性と知り合いになった。取るに足らないような細かいことまで、すでに「海を渡っていた」わたしたちに質問をしていた彼女は、別の土地で出会うであろうことについての疑念をたくさん抱えていた。ヨーロッパの夏にコートもしくは半袖の服を持って行かなくてはいけないのか、そして自分のわずかな英語の知識で理解できるのかを彼女は知りたがっていた。名前や土地、そして味についてまで調査していた。というのも、彼女の主な懸念の一つが、向こうの家庭の食べ物がどれだけ口に合うかということだったからだ。日々慣れ親しんで食べていた黒豆入りご飯が皿に載らないのではないかということを根本的に心配していた。

わたしは笑いそうになってしまったことを白状するが、彼女の食習慣を壊すことを意味していた、彼女にとって途方もない困惑について後になって理解した。彼女は幼いころから、そのクレオル風の組み合わせに慣れて親しんでいて、野菜料理に向き合うことはすでに不敬なことと思っていた。かつて幾つかの映画で見たように、ほうれん草とブロッコリーだけを食べなくてはいけないことを、そして一カ月以上を「黒豆入りご飯」なしで耐え忍ばなくてはいけないことを彼女は心配していた。手放すことができない黒インゲン豆および日々の米数キログラムの荷物を持ち込んで飛行機に乗った瞬間に、虫の知らせを感じた。彼女はその旅から戻ってくることはなかった。なぜなら、彼女はイタリア北部に身を落ち着けたのだ。どうやらその土地の味に満足したようだ。

わたしたちが経験している慢性的な危機を原因とした料理文化の貧困化により、せいぜい10ほどの味しか味わえないようになってしまった。キューバの皿に盛りつけられる「タンパク質」といえば、それは「ホットドッグ」に挟んである七面鳥の挽き肉ほんの少しか、家畜のレバーの切れ端のことだ。これらの製品は、兌換ペソの商店にて最も入手しやすい価格が設定されており、大部分は政治スローガンにおいて非常に多く言及される、あの北米から輸入されている。豚肉さえ手の届かないものになってしまい、わたしの地区で卵が売られているときは、まさに東方の三博士が到来したかのような幸福を感じる。繰り返されることの多い黒豆入りご飯の組み合わせもまた、農業災害や干ばつ、田畑の機能不全により消え去ろうとしている。わたしの友人がヨーロッパ旅行を中止しかけた原因であるこの黒豆入りご飯を楽しむために今は、2倍から3倍までの代金を支払わなくてはいけない。

信号を利用する

Mayo 28th, 2010

数千のハバナ住民は指によって運ばれる。つまり、信号機のそばで運転手に自分たちを乗せてもらうためにヒッチハイクすることである。これら乗客の代理のような人たちの大半は、若い女性たちである。というのも、もしスカートを着用していたなら、ミニスカートならより良いのだが、若い男性やお年寄りの女性より簡単にヒッチハイクできるからだ。2つの大通りの交差点で、車の目的地を尋ね、1ブロック乗せてくれるよう頼むために、ドアガラスの上で身をかがめている場面をよく見かける。しばしば運転手は嘘をつく。なぜなら彼らは、よそ者を自分の車に乗せることを望んでおらず、100メートル先が目的地であるとか、Uターンすると主張する。

ヒッチハイカーを乗せたがらない人たちから、ヒッチハイクの常連たちが聞かされるすべての弁明を手に入れることができる、感じの良いカタログがある。ハンドルの後ろからヒッチハイカーたちに「タイヤの空気圧が低く、これ以上人を乗せると持ちこたえられない」とか、「数ブロック先に住む上司を拾わなくてはいけない」と訴える声が聞こえる。さらに、「ヒッチハイク」を求める人がたくさん待ち受ける角に着く前に、黒っぽいドアガラスを上げる人たちや、歩道から運転手にヒッチハイクを懇願する声を聞かないようにするためにラジオの音量を上げる人たちもいる。国家のナンバープレートも民間のナンバープレートも同じく、「ノー」という言葉は、車の中から、わたしたちの「永遠の夏」の太陽の下で、じりじり焦げ付く人たちに向かって繰り返し発せられる返事となっている。

車に乗せてもらえて感謝している女性たちへ、運転手たちの影響力により彼らから向けられる大胆で遠回しに言う話もまた、滑稽で恐ろしいものだ。太腿および足の間のゾーンに向けられたバックミラーを覗く辛らつな目つきから、通行料の名目での淫蕩なタッチにまで至る。この経験に懲りて、多くの女性たちは、わたしたちを乗せることで図々しくもわたしたちを言いくるめる権利をすでに持っていると信じている男たちのかぎ爪に身を落とす長い距離を、歩いていくことを選ぶ。「イエス」と言いながらも、わたしたちを別の場所に運ぶ代わりに何も見返りを求めず、コンタクトをキープするための電話番号すら聞かない運転手たちは、うれしい誤算をもたらしてくれる。彼らのような運転手のおかげで、赤信号の行き当たりばったりの短さが作り出す途切れ途切れのリズムと共に、この町の地域では日々移動することができる。 

摩天楼

Mayo 26th, 2010

わたしが住むこの建物が落成してから25年が過ぎた。後に居住する人たちの手で建てられたものだ。そのコンクリートの巨大な骨組みとユーゴスラビアの建築様式を使い、この14階建ての集合住宅は、ソ連技術者の監督の下で仕上げられた最後の建物となった。70年代、80年代の間、「ミクロブリガーダ」と呼ばれる新しいコンセプトが、自力で住居を建設する必要がある人たちに許可されていた。幻想の時代であり、多くの人たちは、12階、18階、そして20階にまでなるこれらの集合住宅が、国の住宅問題を解消してくれると信じていた。

しかしひどい貧困のため、そして建設の進行があまりにも遅かったため、東ヨーロッパ風の新たな地区は、住宅難を改善することができなかった。煉瓦が積まれ、セメントがシャベルですくい上げられてから7年が過ぎて、初めての住人がここに移り住んできたとき、社会主義陣営が分断されたときに終了した都市化計画の恩恵を受けた最後の人たちだとわたしたちは感じた。高層住宅が再び建設されることはなく、建設省は延期された計画と挫折した建築術の幻想の資料館となった。いまだに居住空間についての困窮を抱えていた人たちは、居間を分割したり、屋上に即興でアパートを建てたりしてあきらめた。

この集合住宅に居住する144家族の中で、子供たちは成長し、孫たちが生まれ、かつて夫婦とその子供たちが入居するための部屋だったところは、いまでも娘婿や嫁や姑たちが身を寄せ合って暮らしている。悲しいことに、この高層住宅の硬い構造のために、バルコニーを延長して、「バルバコア」として知られている水平の仕切りを作ることもできない。しかし創造力を駆使して、かつて一部屋だったところを二部屋にしてしまった。これらの「摩天楼」は、過ぎ去った時代の象徴と変貌してしまい、通路を走り回る子供たちはこれらの建物が、達成されることはなかったが「新人類」が居住する垢抜けた高層住宅として計画されていたことをほとんど知らない。

メディアの銃殺

Mayo 24th, 2010

わたしは髪を三つ編みにする。今日は何もすることはないので、むしろ髪をもつれさせ、くすませるべきだろうが、ある程度揃えて、混ぜ込んだ髪の毛を3つに分ける。髪をとかすという儀式はわたしの不安を和らげ、最終的にわたしの頭は整えられる。一方で世界はいらいらし続けている。わたしは目がくらむような週末を過ごした。ボサボサの髪を整え、細い三つ編みにまとめる儀式が、わたしから不安を取り除いてくれると思っていたのだが、そううまくはいかなかった。

金曜日、パネルディスカッションの退屈な番組の中でわたしの名前が、「サイバーテロリズム」、「サイバーコマンド」そして「メディア戦争」といった概念と混合されつつ明言された。テレビの最も公式な場において否定的な形で言及されることは、どんなキューバ人にとっても、社会的な死を認識させるものとなる。批判的な思想を持つ人に対して、侮辱で満たすことをより所にする公開投石処刑は、反論の権利をわずかな時間さえも許さない。わたしの家がすでに、マットレスの下や絵の裏をひっかき回す人間たちで一杯になっているのではないかと心配して、友人たちが不安げにわたしに電話をかけてきた。しかしながら、わたしはとりわけ陽気な口調で電話に出た。誰があなたを中傷しているのか話して欲しい、あなたが何者であるかをあなたに教えましょう、と心配していた人たちにわたしは繰り返した。もし凡庸な人たちや日和見主義名人たちがあなたを侮辱するのなら、もし権力はあるけど瀕死状態の、機構のサラリーマンがあなたを罵倒するのなら、勲章としてそれを受けよう、とわたしは一晩中マントラのようにつぶやいた。

その翌日、現実は曖昧な錯乱の陰でさらされつつ、公式な講演やわたしの隣人たちの否定であり続け、こんなにも退屈なテレビのでっち上げを見るための時間もなく、そんな気もなかった。すでに「メディアの銃殺」が機能していないこの現実の中で、一体何が起きているのだろうか?数年前、行政の蔑視という弾丸は、わたしの体やわたしの家からすべてを遠ざけるようにしていたのだが、今はみんな近づいてきてわたしに目配せをして、加担のしるしとして肩を抱きしめる。ほかの人を黙らせる方法としてたくさんの中傷が使われる。扇動的な形容詞は、あまりに多くのスローガンやあまりに少ない成果にうんざりしている市民にとって、効果を示さなくなった。

わたしを元気づける癒やしがこの土曜日に届いた。あるアルゼンチン人がペルフィル賞のわたしあてのトロフィーを不法ながらキューバに持ち込むことに成功して、ほぼ時を同じくして、あるチリ人女性がわたしの著書クバ・リブレ(自由なキューバ)のスペイン語版にピンク色の紙でカバーを掛け、それが税関を通過したのだ。