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車で移動する行商人たち

Febrero 3rd, 2012

キューバのメディアでは度々、新しい政治運動(政府のキャンペーン)は社会的・経済的現象に反対する社会運動として報道される。最近の政府のキャンペーンは、車で移動する行商人や三輪車その他の車の付いた装置で商品を運ぶ果物や野菜の販売人に対して向けられている。官公職にある記者たちは、そのような商人たちは消費者が買うことができる適正な価格より需要と供給の『資本主義者』の原則に基づいて販売していると主張する。また彼らは、現実に商人たちがポンドやキログラムといった量ではなく、ばら売りをしていて、それが価格を暴騰させていると批判する。価格の暴騰は全ての者にとって困った問題だが、行商人の道義心に訴えるだけで解決するとは思えない。

車で移動する行商人たちは、特に農場経営者の市場が閉まっている時、そこで買うことができない地域の人たちに売って歩く。公共テレビは認めていないが、お客が買い物に出かけたり、「国有の市場」で長い列を作って並ぶ必要がない分、値段も高くなる。食事を作るために5時過ぎに帰宅するほとんどの働く女性たちにとって、『アボカドと玉ねぎだよ!』と叫びながら、家のドアまで来てくれる行商人の存在は貴重だ。実際に、これらの商品の値段は彼らの収入とは全く関係がないが、移動屋台の商品は買い手が少なくても廃ることはない。カボチャ1個を買うために2日間働かなければならないような低所得者を、行き過ぎた商売をする行商人とは言えないだろう。

例えば、ゴールデンアワーのニュース報道の記者たちは、なぜ換算可能なペソで、何週間分の賃金でやっと1クオート(約1リットル)の油を買えるような値段で売っている、(国有の)店の行き過ぎた行為を取り上げないのか不思議でならない。車で移動する行商人とこれらの交換可能通貨を扱う店の違いは、後者が国の所有である一方、前者は自営業者が経営していることだ。だから、私たちは、いわゆる「ショッピング」をする際に、輸入あるいは国内で生産された食品が極端に値を吊り上げて売られていることを非難するレポートを見ることはない。なぜなら、車で移動する行商人たちを犠牲にして、物資の欠乏や暗い私たちのどん底の食生活について説明する方が、メディアにとって都合が良いからだ。当分、車で移動する行商人たちに非難が浴びせられるだろう。そして、バルコニーから、通りを売り歩く彼らの姿を見られるのも今のうちかもしれない。まもなく、彼らは街から姿を消してしまうかもしれないのだ。

あまりにも遅過ぎる

Enero 28th, 2012

今日、私は最近の街の廃墟についてのドキュメンタリーを見た後、新しい投稿をしようと考えた。「未完成の空所」というタイトルで、キューバ国立芸術大学(ISA)ビルのプロジェクトに参加した様々な建築家や学生たちの証言を集めたいと思ったのだ。彼らは皆、建物本来の美しさや特異な構造を持つ形状と彼らの創造性を一致させたいと言った。しかし、未だに完成していない幾つかの学部の工事が中止されたとも言った。セントラルハバナのビルが崩壊したと電話がかかってきた時、私は雑草で覆われた柱やレンガ、そして屋根を想像した。インファンタ通りとサルド通りの交差点に建っていた3階建てのビルは、これ以上持ちこたえることができず、1月17日火曜日の夕方に崩れ落ちた。

私は、崩れ落ちそうなバルコニーと壁のあるこの一画を、いつも足早で通り過ぎたものだ。その度に私は、こんな崩れかかった場所に人々はどうやって住み続けるのだろうと心配した。数週間前、ようやく十分な建設資材が集められたが、このビルの住民たちにとって、それは余りにも遅かった。国の怠慢と、数十年間に渡る、建物を修理する塗料やセメントその他の材料不足の結果、ビルの構造的な損傷は救いようがなかった。外観が美しいにもかかわらず末期的症状にある近隣の建物は、床に穴が開いたり、壁が崩れる前にガタガタと呻き声のような音を立てていた。

今までのところ、公式メディアは、インファンタ通りのビルの崩壊により3人が死亡し、6人が怪我をしたと伝えている。最近数年間、ここに住んでいる人たちは建物を見上げ、最終的に崩壊するのではないかと心配しながら、どれだけ持ちこたえられるか計算していた。首都ハバナに住む何人の者が、明日は同じ運命になるのだろう?このような悲劇が日常的に起こらないようするために、早急な解決法はあるのだろうか? 私たちは、「問題の解決策をじっくり研究している。」というような返答は聞きたくない。住居に適さない場所に住んでいた住民たちに責任はない。彼らは、これからどこに行けばいいのだろう? 政府は、建物を建て、修理し、私たちを守らなければならない。

売り物のメダル

Enero 22nd, 2012

勲章は、星の数で軍隊での地位の高さを表し、過去の栄光を思い出させる。ハバナのビエハ広場には、本や観光客用のチェ・ゲバラのはがきと並んで、キューバ最大のメダル市場がある。東ドイツではベルリンの壁の崩壊後にバッジ売りが通りを占領したものだが、未だにそんなブリキのバッチを襟に付けているキューバ人たちの前に、市場は出現した。今、多くの「指導的地位にいる」労働者たち、手足を失った軍人たち、そしてそのような名誉を受けた現役の戦闘員たちは、それらをペソと交換したがっている。彼らは、それらを同等の価値を持つ交換可能通貨として取引している。

今では、それらは、節度なく賞状やバッジと一緒に、赤いテーブルクロスにピンで留められ、崩壊した国の象徴として店先に並べられている。階級、栄誉、(和解を表す)オリーブの枝、月桂冠のメダル、栄誉証、赤いハンマーと鎌、亜鉛に刻まれた国の紋章等のソ連の遺産は、未だにキューバに引き継がれている。クレムリンから送られた、見るからに不用と思える通俗的な彫刻が至る所に溢れている。当時、これらの栄誉は役得や特権と見なされ、だれも勲章を手放そうとしなかった。集会では、勲章がシャツにピンで留められ、賞品として冷蔵庫や洗濯機が与えられた。その結果、集会は大袈裟に功績を称える祭のようになった。しかし、それは昔の話だ・・・。

現在(2012年)の私達の懐疑的な目から見ると、これらの勲章の美学は、私達を物珍しさと驚きの入り混じった複雑な気持ちにさせる。オールド・ハバナの放浪者たちは、それらを胸に掛け、人の良い旅行者に見せて、いくらかの小銭を稼ごうと考える。これらの遺物の多くは、もらった者たちの箪笥の引き出しの奥に、取り出されることもなく無関心に隠されている。要するに、他の物の方が価値がある。それらは、骨董市で、19世紀のコインや80年ものの古いライカカメラと一緒に売られている。買い手は、メダルの重さを計り、売り手と値切る交渉をする。そして、最終的にコールドメタルの輝きによって、買うかどうかを決めるのだ。

色あせた写真

Enero 18th, 2012

前回、イランの大統領マフムード・アフマディネジャドがキューバの土を踏んだとき、数週間前にフィデル・カストロが病気だと発表され、根拠のない政治的な推測が飛び交っていた。2006年9月当時、イランの大統領は、肉体的に権力を行使することのできないキューバの元首にとって、非同盟諸国の大統領職にある者であることを認めてくれる立会人だった。キューバ代表としてバルセロナ・アトランタ・シドニーオリンピックに出場し、3大会連続で金メダルを獲得したフェリックス・サボン(ニックネーム:Maximum Leader)の代わりに、競技場のコンベンションパレスの中では、公式のスポークスマンたちが、カメラの前で廊下に並び、最高司令官がすぐに現れることを期待しながら、彼の弟(ラウル・カストロ)の話を聞いていた。しかし、彼らは嘘をついた。 明るい太陽が照りつける芝生の上で撮られた行事の最後の写真は招待された支配者たちの関心を集めたが、肝心の主催者の姿は映っていなかった。今思えば、それは国際的に、元ゲリラ戦士の統率力が無くなったことを予知させる典型的な出来事だった。

今、アフマディネジャドは、また新しい写真を撮るために戻ってきた。おそらく、今度は立会人なしに、フィデル・カストロが病後療養をし、長い回想録を書いている密室で行われるだろう。この5年間で、2人の立場は大きく変わった。アフマディネジャドは、アメリカ政府との緊張関係が高まり、ホルムズ海峡を閉鎖すると脅している。カストロは、国内外のイメージが色あせ、かつての日の出の勢いは全くない。

このイランの指導者の衝動的な政治行動は、1962年に第三次世界大戦を引き起こす可能性があったキューバ・ミサイル危機を再現するかもしれない。2人とも早急に、もう一度親密な写真を撮りたがっている。アフマディネジャドは外交上、アメリカに彼が孤立していていないことを見せたい。そして、カストロは、ソーシャル・ネットワークの噂に対して、彼がまだ健在であることを示したい。しかし、最近5年間の疎遠な関係が影を落とし、彼らの写真は色あせたものになるだろう。権力の象徴である軍服を着たフィデル・カストロと、2009年の夏にアフマディネジャドに対して若者たちが市内で抗議デモを起こした姿は、ギリシャ神話でゼウスに誘惑される若い女性レーダーの姿を思い起こさせる。

トローバは時代遅れか?それとも思い出か?

Enero 14th, 2012

歌手はステージで、彼の古い持ち歌の1曲を、抑揚を付けて歌う。人々が寄ってきて、コーラスを繰り返して熱中する。今週、私たちは、サンタクララで始まった多くのトローバの音楽祭の1つを楽しんだ。祭りのテーマはロマンチックなものから議論好きな社会問題にまでおよび、新曲からよく知られた楽曲まで聴くことができる。トローバは70年代に最盛期を迎えたが、今では、より商業ベースの、テンポが速いメロディの美しい曲に押されている。ほとんどの若者たちは、不平を言ったり、日常生活を語るような、トローバのバラードを聞きたいと思わない。彼らは、一夜だけでも、現実を忘れてリラックスして楽しめるものを好む。彼らは、周りで起こっていることを思い出すためではなく、逃避するためにクラブに通うのだ。そのため、生まれ変わったり、あるいは将来の社会を暗示するような観念的な曲は忘れさられてしまった。

人気が無くなったとはいえ、未だにキューバの伝統音楽であるトローバの演奏を続けている何十人ものミュージシャンたちがいる。彼らは、別の世界へ逃避するのではなく、むしろ日常生活とその不条理をテーマにして歌う。私達と政治的見解や哲学的な立場が大きく違うシルビオ・ロドリゲス(反米感情が強い中南米各地では、今なお絶大な人気を誇る)の歌詞を聴いて身震いする者もたくさんいる。将来私達が音楽や文学の図書館を作る場合、できるだけ多くの著作物を並べようと思えば、党の好みで作らせないようにしなければならない。

コードや歌詞の素晴らしさ以上に、大衆にとってトローバのバラードの良いところは、初恋や寄り添って踊るダンス、困難な年月、初めてキスをした日、あるいは特別な人と出会ったコンサート等、過去の思い出を呼び起こす力があることだ。それらは、プルーストのマドレーヌ(マドレーヌを食べた瞬間に幼少期の風景がよみがえる)のように思い出を呼び戻し、味覚ではなく耳を通して入ってくる。トローバの歌手がギターを持って現れた瞬間に、私たちは既に若かりし頃の思い出を呼び起こしている。トローバは、現在のLSD(幻覚剤)のような新しい音楽によって、まだ完全に色あせてはいなかった。

昔のあなたは素敵だった

Enero 10th, 2012

「昔、あなたの髪が素敵だったから好きになったの。でも、今は禿頭になっちゃったから嫌いよ。」- 童謡

彼女は6時に起きて、壊れた硬い歯ブラシを使って、髪をきちょうめんに解いた。そして今、腰に届くほど長く伸びた彼女の髪を切ることを決めた。そして年の瀬も押し迫り、クリスマスを祝うために、ウェーブのついた彼女の髪の毛を売ってお金に変えた。彼女は、細長い廊下の「髪買います」と書かれたドアの前に立ち、迷うことなく中に入った。2人の美容師が、彼女のふさふさした長い髪の濃さや、特にどれほど手入れしているかを細かくチェックした。朝早く来た時には長い束髪だったが、昼過ぎに帰る時には、かろうじて彼女の耳が隠れるほど短くなっていた。そのお金で彼女は豚肉やサイダー、そしてトマトを買い、余ったお金で彼女の母の義歯を矯正した。髪を売った後、恋人に初めて会った時、彼女は「すぐに伸びるから」と言って彼を慰めた。「シラミの伝染病が発生したから、髪を切ったの」と、彼女は嘘をついた。

財政困難の中で(外国人に対して)媚を売らなければならないキューバの国内事情の中で、髪市場は拡大している。深夜ハバナの通りで見られる見事で大胆なヘアスタイルは、(このような市場で売買された)付け毛やかつらのおかげなのだ。資金の豊富な業者は、特に若い女性の、染めていない長いふさふさとした髪を求める。これらの商人たちは、小さな町を回れば、お金に困った者たちが、より安い価格で髪を売ってくれるのを知っている。また、スタイリストの手で、何時間もかかって「メチャス」と呼ばれるものが、ストランド(より糸)毎に、客の頭に付けられる。人工の頭髪も使われるが、天然のものほど需要が多く高値で売れる。それらは、フロリダ、エクアドル、メキシコから輸入されるが、海外旅行する親類に持ち帰るよう頼む者もいる。

今や、多くのキューバ人女性にとって、唯一の経済資本は自分の髪の毛だと言っていい。生活が苦しくなればなるほど、「鋏を買うお金と交換してあげるよ」と言って近づき、彼女たちのふさふさとした長い髪を買占めようとする者が必ず現れるのだ。

あまりにも裏切られた2011年

Enero 6th, 2012

霧雨の降る2011年10月に、私たちは薄暗い病院でローラ・ポランに会った。彼は、殴られて傷だらけだった。数カ月前、このBlack Spring (カストロ政権を批判した75人のキューバ人ジャーナリスト)の最後の囚人は釈放された。そして、キューバ国内そして海外メディアの見出しは、ほとんどLadies in White(彼らの75人の妻たち)の戦い、そしてジェルモ・ファリナスやオーランド・サパタ・タマヨの非道な弾圧行為に対するハンガーストライキによる死を軽視し、カトリック教会とスペインの外務大臣の功績をたたえた。4月は、私たちにとって最も悲惨な月だった。共産党議会は『改革』より『修正』という言葉を好み、キューバ政権の血縁的な後継者の権力を強化して、経済問題だけに集中しようとした。

真夏の8月になっても、生活必需品の不足は、あまり改善されなかった。「何が変わったの?」と、多くの人が呟いたものだ。10月になって、ようやく少しずつ改善が見え始めた。しかし、私たちは中古車を買えるようになったが、相変わらず自由に集会を開いたり、自分の思うことを述べることはできずに処罰された。そして、その後、ラウル・カストロは最も大胆な政策を発表した。家の売買が可能になったのだ(控えめに見積もっても45年分の賃金を必要としたが)。何10年間もミイラ化していた社会に変化があった。しかし、あまりにも遅い政策に、私たちは絶望した。12月中旬に、私たちは、6万6000人以上のキューバ人が、アストゥリアス、カナリア諸島、そしてガリチアから逃れてきた移民である彼らの祖父母の国籍を得たことを知った。街かどでは、領事館に長い行列を作る人たちの絶望感は分からない。

農民に土地の使用権を与えた地域は発展したが、食物の値段も高騰した。新聞は大きな進歩だと書いたが、現実には不景気だった。スパイスの利いた料理を出す民間レストランが至る所に開店したが、はたしてどれだけ続けることができるのか心配は尽きない。国民議会を見ていると、2012年にはキューバは自国で十分に生産できる食物まで輸入しなければならなくなり、さらに資金が必要になりそうだ。そして、出国の改革は行われず、何度も私たちの期待を裏切り続けている。セイントシルベスターの夜、少なくともハバナの数軒の家ではパーティーが開かれ、音楽が聞こえた。ともあれ、私はこのような年が終わってほっとした。2011年は、プロパガンダによって誇張され、進歩の妨げになった年だった。今年こそ、そんな風になってほしくない。

逃避ゲーム

Enero 3rd, 2012

彼らが、毎週土曜日の夜開くパーティーには、アルコールも音楽もなく、女の子もいない。彼らは、夜通しコンピュータの画面を見ながら、キーボードの前に座り、ウェブに接続されたゲームをして過ごす。それは、特にキューバの中流家庭(自分たちはそう思っていないが)の典型的な10代の少年たちの最近の姿だ。居間の真ん中にテントを張ってポップコーンを食べる「パジャマパーティー」は、彼らにとって、現実を忘れ、楽しくテクノロジーを共有できる場所なのだ。若年たちは、このようなテクノロジーのマラソンを「ターボ」と呼び、多くの者がマウスを握ったまま一夜を過ごすことのできる場所を借りている。一番人気のあるのは、この国の現実から逃れることのできる戦略ゲームだ。

週末になると、パソコンやモバイルを持ってない者は、学校のコンピュータ教室へ行って、教師の許可なしに、大がかりな「ゲームパーティー」を開く。スタークラフト、ドットA、カウンターストライク、コール オブ デューティが、若者たちの間で広まっている。そして、それに匹敵するマーケットを持つ海賊版は、最新のアップデートと全ての付属品が必要だ。世界のインターネットへ接続する機会が最も少ない国の最大の課題は、最新の状態に保つことだ。そこで、旅行に出かける叔父さんや海外から帰ってくる友人に頼むのは、これらのゲームのDVDだ。「Revolico」のようなオンライン市場は、毎日の煩雑な作業を最小限に抑えるために、非常に広範囲の選択を提供している。

街かどの人々の話から、どれほどこのパーティーが広がっているのかが分かる。「他の人はみんな腕が良いから、もっとレベルを上げないと」「最初に勝つなよ。相手が逃げちゃうから。」「悪魔がいないこの地域に街を作れ。」中世のレクリエーションから最も斬新な未来のファンタジーまで、それらは今日の若者たちの人生の重要な想像力の一部なのだ。彼らが集まって遊んでいるその場所は、かつて私たちが演説とスローガンを聞くために集まった場所だった。彼らは、拍手喝采をすることはない。彼らは何も信じず、ただひたすらにクリックして遊んでいる。それを笑うべきか、泣くべきか?原理主義に対する武器だと歓迎すべきか?それとも、彼らの現実からの逃避は、私たちの青春時代に求められた権力への反抗を拒否するものだと悲しむべきだろうか?

恩赦そして忘れさられた者

Diciembre 30th, 2011

「騙されたらだめだよ」「スーツケースと一緒に置き去りにされるよ」どこに行っても、友人たちは善意からそう言ってくれる。しかし、囚人は、看守が鍵で鉄格子の扉を開ける瞬間をいつも夢見ている。移民改革の代わりに、昨日国民議会で発表された明るい話題は、2,900人の囚人の恩赦だけだった。実際に刑務所の独房を開放する方が、政治的な手続きより簡単だったのだろう。確かに、出国許可証を法的に廃止するより、釈放証明書にサインする方が早い。ラウル・カストロは昨日、人々が彼の言葉に失望し、それが彼自身の代弁者たちの予想さえ裏切るものだったことを分かっているのだろうか?

私は、部屋の隅にスーツケースを戻した。そして、クリスマスイブの計画を変更して、どこにも行かないと母に電話で伝えた。今日、何千人ものキューバ人の家では、もうすぐ薄汚い刑務所から出所して戻ってくる親族を祝っていることだろう。しかし、今日(12月24日)の時点では、また騙されていると思っている人たちも多いだろう。政府は何度、市民に課したそのような規制を緩和する必要があるのだろう? この国では、「徐々に」という言葉や「政策を実施するために努力している」という言い回しは、ほんとうは現実的なことではなく、「まさか」と思った方がいいのではないのか? 彼らは、倫理的・法的形態も持たずに、(彼らの方針を)正当化していくことができるのだろうか? いったい、議長は、いつ自分の国から出入国を禁止させられている者の恩赦を出すつもりなのだろう?

しかし、私は、そんな政府の相も変わらぬ態度によって悲観させられたり、当局の頑固さによってクリスマスの祝いを台無しにされたくない。その代わり、真夜中に飲み物を飲み、息子を抱き、2012年の計画を立てたいと思う。しばらく私は、囚人たちの恩赦のことを忘れ、国民を弄ぶ気ままな議長のイメージを消し去りたい。彼は、わずかな規制緩和をすることさえ恐れているのだ。

私のスーツケースは詰まっている

Diciembre 26th, 2011

世界のどこの空港でも同じだが、私たちの空港も、どこを見ても人間味のない、ストレスを感じるガラスとアルミニウムで囲まれている。時々、税関のドアから、セロハンで包装された荷物を持って出てくる者がいる。待っていた家族は、涙を流して叫び声をあげる。到着した者の顔は、安堵で上気し真っ赤だ。一方、1階の出発ロビーでは、二度と会えなくなるかもしれないと最後の抱擁を交わす人たちがいる。ブースの中では、目つきの鋭い職員が書類をチェックしている。パスポート、査証、チケット、そして出国許可証。この1枚の「白いカード」なしで、この窓口を通る人がいたら、私は不思議に思うだろう。私たちキューバ人は、この許可書を持っていなければ出国できない。しかし、発行される許可証はわずかで、飛行機が離陸する滑走路から遠く離れたこの場所で、度々出国を拒否される。

明日金曜日の朝、ラウル・カストロが、出入国制限を緩和するという噂を聞き、私は眠ることができなかった。この4年間、私のパスポートは、他国への入国ビザで一杯になっていたが、この島を出国する許可証だけはもらえなかった。18回も出国を拒否されるなんて酷すぎる。それは、政治的規制の問題というより、個人的な報復のように思える。私は長い間、スーツケースに荷物を詰め込んだままだ。時間がたって衣服は黄ばみ、友人への贈り物は期限切れになったり、流行遅れになっている。読もうと思っていた古い新聞も入っている。しかし、スーツケースは、寝室の隅に置かれたままだ。「いつ旅行に出発するの?」私は、そう私に問いかける、(空港へ向かう)おんぼろ車を想像する。そして、私は、「おそらく、今度の金曜日の議会で、その答えが出るはずだわ」と答える。何らかの法令が成立し、私が当然持っている権利を返してくれることを願うしかない。

期待して待っている「移民改革」が発表されたら、私は恐ろしい空港の検問所で、制限がどれほど変わったのかテストしようと思っている。私は、いつでもスーツケースを持って出国する準備ができている。監視が出発ラウンジへのドアを開けるボタンを押すか、それとも私を連れ去るよう警備員を呼ぶかどうか、見てみたいのだ。